すべての逆境にはギフトが隠されている【逆境を乗り越える】

暗闇から希望へ

私は長らく鬱病に苦しんでいました。

仕事も休職と復職を繰り返し、日々絶望を感じていました。

薬は多い時で7種類ぐらい飲んでいました。

文字通り薬漬け。

私は当初、それを仕事や人間関係のせいにしていました。

私を取り巻く環境のせいにしていたのです。

でもそれでは一向に良くなりませんでした。

他責思考になることで自分の力がどんどん弱くなっていったように感じます。

逆境という名のギフト

でもある言葉が私を勇気づけてくれました。

それはネットを何気なく見ていた時に出会った言葉。

「すべての逆境にはギフトが隠されている」

普段なら素通りしそうな、どこかで聞いたことがあるような言葉。

でも私はとことんまで人生が落ちていたので、なぜかその言葉に惹かれていきました。

「すべての逆境にはギフトが隠されている」

もしそれが本当なら、今の自分の置かれている状況にもギフトがあるはず。

それを本気で探す決断ができました。

鬱病になったギフト。

どういうギフトがあるのか。

本気で考えました。

私は元来、「人生で良いことばかりが起きてほしい」と考えていることに気付きました。

これは鬱病になる人の特徴だそうです。

でも人生とは波のようなものであり、良いことも悪いことも起きます。

良いことばかりが起きてほしいと願えば願うほど、人生で起こるネガティブな出来事を避けてしまっていたのです。

問題を避けても、また別の時期、別の場所で同じような問題が降りかかります。

そのため、一時的に鬱病が改善したと思っても根本的に何も解決していないので、結局また悪くなる。

これを繰り返していました。

これは今考えると、鬱病が「あなた自身を変えないと何も変わらないよ」と教えてくれているようでした。

私はこれまで生きてきた中で、ネガティブな状況を避けてきたことに気付けたのです。

そしてそのことが鬱病を招いていたのです。

つまり、私の生き方そのものを変えていく必要があると気付けたのです。

ネガティブなことを避けるのではなく、それに向き合い、そこにあるギフトを探す

何かを得るためには何かを捨てなければならない。

最初に対価を払わなければならない。

そのことに気付けたことが鬱病が私にくれたギフトだったのです。

そして今ではすべての薬を辞めることができました。

本来物事に意味はなく自由に意味づけすればよい

人生では良いことも悪いことも起こると書きました。

しかし、実際には起こる出来事は常にニュートラルでそこに意味はありません。

ただその事実が起きたということだけ。

宝くじに当たった。借金ができた。大事な人が亡くなった。

それらも単に出来事が起きただけで、それに意味づけをしているのは人間なのです。

物事は肯定的な側面から見ることもできるし、否定的な側面から見ることもできます。

そして物事の否定的な側面を見過ぎると、私のように鬱病になったりします。

どのように生きるかは人の自由ですが、どうせ生きるなら平穏に豊かに幸せを感じながら生きたいものです。

私は、中学・高校の時孤独でした。

集団生活が苦手で友達もいませんでした。

しかし大学時代は思い切って故郷を離れ、自分を変えて新たに友達ができました。

そして親友と呼べる人も一人できました。

人生でたった一人の親友。

しかし、その親友は数年前に癌で他界。30代の若さで。

その時神様を呪いました。

「どうしてたった一人の親友をこんなにも早く失わせたのか」

あれからというもの長年苦悩してきました。

「すべての逆境にはギフトが隠されている」

この言葉を思い出します。

本当にこのことにもギフトが隠されているのか。

自問自答しました。

親友が亡くなる2週間前に最後に言ってくれた言葉があります。

「自分にとって納得できる人生を生きるよ」

余命宣告をされ残りわずかな命であることを自覚した上での言葉。

今でもこの言葉は私の頭から離れません。

「自分にとって納得できる人生とは何か?」

私はここ数年このことばかりを考えるようになりました。

もう会えない親友が言ってくれた最後の言葉だからこそ胸に残り続けました。

そして決断しました。

仕事(公務員)を辞めることを。

大学を卒業して公務員になってからすぐに何かモヤモヤを感じていました。

何か違う違和感。

それでも自分を誤魔化して続けていました。

本当にこれを退職まで続けるのか。

1回しか人生はないのに。

いつも疑問に思っていました。

苦悩する日々。

「自分にとって納得できる人生を生きる」

この言葉で公務員を辞める決断ができたのです。

「私も納得できる人生を生きたい」

その思いが強くなり決断しました。

このことも今考えれば親友が亡くなってしまったことに隠されたギフトだったんだと思います。

本当ならこれからの人生を共に一緒に生きたかった。

でもそれは叶わなかった。

だから私は親友が言ってくれた言葉に強い意味づけをしました。

そこには私を幸せにしてくれる大事な意味があると。

思えば、中学高校時代に孤独だったのも、親友の存在をより大きくするためのギフト。

そして親友が亡くなったのも、今の私に生きる道しるべを与えてくれたギフト。

過去を変えることはできません。

変えられるのは解釈だけ。

過去に起きた出来事は自分自身で自由に意味づけできる。

どうせ意味づけするなら、これからの自分の人生において指針となるような、道しるべとなるような意味づけをしてギフトを見出す。

その方が楽しいのではないでしょうか?

ポジティブとネガティブを統合しさらなる高みへ

「すべての逆境にはギフトが隠されている」

これほど勇気づけられる言葉はないと思います。

別に逆境を待つ必要はありません。

日々起こる些細な出来事の中にギフトはあるのです。

「風邪をひいて熱が出た」

→それも風邪という出来事を通して、体が休めという指示を出していると考えることもできます。

「上司に怒られた」

→厳しさの中にギフトあり。厳しい人ほど悪魔の顔をした天使。物事を改善するチャンス。

「電車が止まった」

→徒歩で帰宅し運動不足解消。

すべてのネガティブと思われるものの中にギフトがあります。

ネガティブの中にギフトを見出すことによって何になるのか。

それは自分軸(中心)へと戻す作業だと私は考えます。

ニュートラルの位置に戻るための作業です。

人は何ものにも囚われていない時が物事がスムーズに進むようにできているようです。

執着せずに手放した状態。

あなたも経験ないですか?

お金に執着すればするほどお金が減っていったり。

好きな人に執着するほどその人が離れていったり。

すべてを手放した時人は初めて進化成長できるのです。

良いことが起きた時も逆をします。

つまりポジティブな出来事が起きた時は、その中に潜むネガティブな要素を探します。

物事がとんとん拍子に進んでいればいるほど、そのまま進むと大きくネガティブに落とされることがあります。

「勝って兜の緒を締めよ」

「実るほど頭が下がる稲穂かな」

という昔からの言葉にあるように、良い状況の中に何か問題点がないかを探すことで、よりニュートラルな状態に戻すことができます。

そしてこのニュートラルな状態こそ、インスピレーションが下りてきやすくなります。

このことが意識レベルを上げることに繋がります。

アインシュタインの名言で「どんな問題も、それをつくり出したときの意識レベルでは解決できない。」というものがあります。

これは逆に言うと「意識レベルを上げれば問題は解決できる」となります。

ポジティブとネガティブを統合し、意識レベルを上げることで、問題が起きにくくなると同時に、問題を問題とも認識しなくなります。

私は実体験ベースでもそれを感じますし、また世の中を見渡しても、物心ともに本当に豊かな方は悲観的過ぎることもなく、また謙虚で何事にも感謝する人です。

ポジティブの中にネガティブを見出し、ネガティブの中にポジティブを見出すことで、意識レベルが上がり、より人生が平穏に豊かになっていくものと確信しています。

人間は本来ネガティブ思考であると言われていますので、まずはネガティブの中にギフトを見出すことから始めてみるのも良いのかもしれません。

私も私をどん底から救ってくれた逆境(ギフト)に感謝して、これからの人生を生きていきたいと思います。

あなたに訪れる逆境からギフトを見出し、あなたの人生がより平穏により豊かになることを心から願っています。

今日も最後まで読んでいただきありがとうございます。

タイトルとURLをコピーしました